レーガン政権を強力に支持
救国のため敢然と立ち上がったワシントンタイムズ
この様子を見て、文鮮明先生は決断された。「ワシントンタイムズを作った目的は、まさしくこのような時のためである。
ワシントンタイムズは立ち上がって全力投球せよ!」と命じられたのである。
この命令に呼応して、当然のごとくに立ち上がったのがワシントンタイムズであった。
タイムズの記者や職員たちは、文鮮明先生の鉄石のごとき意志と闘志を全身で受け止めた。
先生は語られた。
「まさにこの戦いこそ、今世紀の人類の生死を決する歴史的闘争である。
天が下さったこの機会を逃すな!」
ワシントンタイムズ社長である私に対しても
「社長自らが第1線に立て!」
と命令が下った。
ワシントンタイムズは怒れる獅子のごとく反対世論に立ち向かった。
まず、ダニエル・グラハム将軍を招聘(しょうへい)して、将軍が発表したハイ・フロンティア構想を国民が理解できるように解説した。
「グラハム将軍を英雄にせよ!」
これが文鮮明先生の叫びであった。
グラハム将軍は感激した。
それまで蔑視待遇を受けていた彼は、アメリカの英雄として称賛された。
これを機に、私と彼とは二人といない親友になった。
1995年に70歳で他界した将軍は、生前常に「レバレンド・ムーンがアメリカを生かした。彼は私の英雄だ」と語っていた。
ワシントンタイムズは続けて、ソ連KGBとアメリカのリベラル言論を正面から攻撃し、ソ連の陰謀を次々に暴いた。
また、民主党が主導する米議会を「非愛国的な議会」「米国民を人質にする議会」として糾弾した。
ワシントンタイムズの一連の言論闘争が奏功して、アメリカの新しい国論が形成されていった。
「ハイ・フロンティア構想はアメリカを生かす戦略!
これに反対する者は売国奴か、さもなくばソ連のエージェントー」という世論が形成されたのである。
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