文鮮明師、「ソ連帝国の崩壊」を宣言
クエール非難のマスコミ人はベトナム反戦主義者ばかり
その次の日から、ボルシュグラーブ編集局長はクェール救出作戦に集中した。
奇想天外な戦略を立てたのである。
まずフンントンータイムズはすべての議員たちの兵役履歴を明らかにした。
その実態は、兵役と縁のない議会議員が大部分であった。
ベトナム戦争従軍は勿論、州兵の勤務をした者も稀であった。
クェール氏は合法的に州兵勤務を終えた者である(彼はベトナム戦争さなかの1969年にインディアナ州兵への入隊を志願し、6年間在籍した。)
さらにワシントンータイムズは、悪質な兵役忌避者、真にベトナム戦争から逃避した者のリストを暴露公開した。
その記事を読んで、米議会は蜂の巣をつついたようになった。
しかし、そこでとどまりはしなかった。
今度はクェール候補をベトナム戦争忌避者 として非難したマスコミ言論人たちの兵役勤務の履歴を、一つ残らず点検してみた。
すると驚いたことに、声高にクェール候補を非難した言論人ほど、ベトナム戦争の反戦主義者であったことが判明したのである。
この事実もまた、ワシントンータイムズの報道によって否応なく白日の下に晒された。
今度は全アメリカの言論界加入混乱に陥った。
その名前が発表されるや、クェール兵役忌避非難の声は跡形もなく消え去ってしまった。
これこそKO勝利と言っていいほどの、実に鮮やかな勝利であった。
ワシントンタイムズはそれでも満足しなかった。
さらにもう一歩踏み込んで民主党副大統領候補を調査してみた。
すると、ここでも意外な事実が発見された。
それはクエール共和党候補ではなく、むしろ民主党副大統領候補のテキサス州選出上院議員ロイドーペンツェン氏が、上院議員の職権を濫用して自分の息子を現役から予備役にこっそり引き抜いて、ベトナム戦争を忌避させた事実が明らかになったことである。
これで民主党の足元に火が付いた。
これによって、民主党側ではクエール候補の兵役忌避を云々する者はI人もいなくなってしまった。
このように、ワシントンータイムズは三日間の”掃討作戦”で、クエール副大統領候補の潔白を証明し、マスコミの口を閉じさせ、民主党を守勢に追いやることに成功した。
ブッシュとクエールのコンビが選挙に勝利するや、クエール副大統領は直行でわが社を訪ねて来た。
そして、「今日の勝利があるのはワシントンータイムズのおかげです」と感謝を表明した。
当時、もし、ブッシュ氏でなく、民主党候補が大統領に当選していたら、果たして歴史を共産主義の終焉へと追い込むことができたであろうか?
否である。
レーガン大統領の8年の血と汗を流した業績は、水泡に帰していたかもしれない。
ワシントン・タイムズ1988年11月9日付。レーガン政権で副大統
領を務めたジョージ・ブッシユ候補が第41代米大統領になった