ついにその日は来た!
一九八二年正月元旦。
わが教会ではこの日を「神の日」と称し、神とともに新年を迎える儀式を行う。
その日の説教で、文鮮明先生は次のように語られた。
「私は長い間待った。
そして神様に祈祷した。
ワシントンをどうすればいいのかと。
アメリカを救うにはどうすればいいのかと。
答は常に同じだった。
ワシントンに『保守勝共日刊紙』を創刊せよ、というものだった。
新聞を作って運営することは、宗教の第一の本分ではない。
しかしこの非常時において、われわれはこの使命を避けることができない。
これはまさしく神様の御旨であるからだ。
ワシントン・ポストに対抗し、レーガン大統領を保護する新聞を作ることを、私はきょうこの『神の日』に宣布する。
今や全世界の統一教会の信徒たちは、この使命に命をかけて決起せよ!」
その場に集まっていた統一教会の世界幹部と二千名の信徒たちは一斉に歓呼の声を上げ、拍手でこの歴史的決断に応えた。
先生は続けて語られた。
「きょう私は、ここニューヨークのニューズ・ワールド社長をしている朴普煕を、ワシントン日刊紙の社長に任命する。
その日刊紙の名前は『ワシントン・タイムズ』と言う。
きょう私が任命する二百名の中堅信徒とニューズ・ワールドの幹部を率いて、すぐにワシントンに下って行け。
きょうから行動を開始するのだ。
そして、一九八二年三月一日(三・一独立運動記念日)を期して創刊号が出るようにする。
分かったか?」
私はこの説教をすべて脇で通訳していた。そしてこの青天の霹靂の作戦命令を聞いて、冷や汗が額から流れ出た。
私は自分でも分からないうちに「はい!」と答えた。
ワシントン・タイムズ創刊
「保守勝共日刊紙」創刊を決断
三月一日までは五十八日しかない。
しかも、われわれはワシントンに建物一つ、事務室一つ、机一つ、もちろん印刷機一つも所有していない。
これは誰が見ても不可能な使命である。
通常、巨大な主要日刊紙の創刊は、数年間準備して初めてできる仕事である。
しかし、神にはそんな贅沢な時間などあるはずがない。
私はその事情が痛いほどよく分かった。
私はなんとしてもこの不可能を可能にしなければならない。
ぎりぎりまで追い詰められると、私は文鮮明先生の座右の銘を思い出す。
それは、
「奇跡は天が起こされる。神様の栄光のためである。おまえはただ天の道具になれ」
というものである。
先生の悲壮な胸中を察して、私も悲壮な決意を固めた。
「よし! 『死なんとするものは生きる』というではないか」
フレーザーとの戦い<2>以後、再びかの都城ワシントンに死を覚悟して入って行ったのである。
私はもう一度死のうと思った。
私の使命は、ワシントン・ポストに対抗する日刊紙を首都ワシントンに白紙の状態から作り上げることだ。
続き→ 「ワシントン・タイムズ」で商標登録に成功
しかも、われわれはワシントンに建物一つ、事務室一つ、机一つ、もちろん印刷機一つも所有していない。
これは誰が見ても不可能な使命である。
通常、巨大な主要日刊紙の創刊は、数年間準備して初めてできる仕事である。
しかし、神にはそんな贅沢な時間などあるはずがない。
私はその事情が痛いほどよく分かった。
私はなんとしてもこの不可能を可能にしなければならない。
ぎりぎりまで追い詰められると、私は文鮮明先生の座右の銘を思い出す。
それは、
「奇跡は天が起こされる。神様の栄光のためである。おまえはただ天の道具になれ」
というものである。
先生の悲壮な胸中を察して、私も悲壮な決意を固めた。
「よし! 『死なんとするものは生きる』というではないか」
フレーザーとの戦い<2>以後、再びかの都城ワシントンに死を覚悟して入って行ったのである。
私はもう一度死のうと思った。
私の使命は、ワシントン・ポストに対抗する日刊紙を首都ワシントンに白紙の状態から作り上げることだ。
続き→ 「ワシントン・タイムズ」で商標登録に成功