今考えても不思議なことは、「ワシントン・タイムズ(The Washington Times)」という印象の良い紙名がわれわれに残されていたことである。
もし誰か他の人がその名前を所有していれば、商標登録はできない。
アメリカ新聞界の最も権威ある名前は「ポスト(Post)」か「タイムズ(Times)」であった。
だから、ニューヨークには「ニューヨーク・タイムズ」があり、「ニューヨーク・ポスト」がある。
ワシントンには「ワシントン・ポスト」があるのに、「ワシントン・タイムズ」はない。
とはいうものの、この良い名前は誰かが所有している可能性が高い。
ところが、文先生は「ワシントン・タイムズ」と既に言明された。
調査してみると、これはどうしたことだろうか。
「ワシントン・タイムズ」の商標をある人が持っていたのだが、ちょうどその年(一九八二年)に入って商標登録の有効期限が切れて、今は誰が使ってもいいというではないか。
われわれはこの価値ある紙名を、ただで手に入れることができたのである。実際には商標一つを買おうと思えば、時には数百万ドルを出さなければならないのであるから、これは天が隠しておいた一つの宝物であった。
私は誰はばかることなく証しする。
ワシントン・タイムズが成功した第一の要因は、「ワシントン・タイムズ」というその名前にあると。
これこそは数億ドルはする貴重な名前なのだ。
「どうしてこれらのことをすべて知っておられたのか? われわれの先生は……」
不思議な方である。
これは天が下さった贈り物である。
これはわれわれの新聞摂理の最初の勝利であった。
世界最強の新聞”ワシントン・タイムズ創刊
「ワシントン・タイムズ」で商標登録に成功
次に、アメリカ全土に及ぶ人材探しの作業に入った。
どこかに天が準備した人材がいるはずである。
そうやって探し出したのが、「サクラメント・タイムズ」の編集局長であったジェームズ・ウェラン氏であった。
私は直ちにカリフォルニア州の州庁所在地サクラメントに飛んだ。私は三日をかけて彼を説得した。
彼は三度も断り、私は三度も訪ねて行った。
彼は最初は笑い飛ばした。
「いや、冗談じゃありませんよ。宗教指導者が新聞を作るですって?」
彼は全く相手にしなかった。
私は文鮮明先生を三日間にわたって証しした。
彼は三日目に、「文鮮明師こそは世界を生かす仕事をしようとしている人だ」「ひと肌脱ごう」と言った。
これは『三国志』に出てくる劉備の三顧草廬(三顧の礼)を思わせた。
これこそは現代版の三顧草廬である。
彼が承諾してくれると、今度は言論界の専門人材を一人、二人と募集することができた。
これら草創期に入社してきた人々は、本当に天が送った人材であると実感する。
大平原のように何もないところに新聞社を築くというのに、それを信じて、自分の名誉をかけてくれた人々である。
彼らが生命を差し出して入社してくるようになった理由はただ一つである。
文鮮明先生は絶対に他人を利用したり、裏切ったりする人ではない、ということである。
その時はまだ、彼らに見せてあげるものは何もなかった。
ただ一つ資産があったとすれば、それはわが統一教会の若者たちの殊勝な気概と精神であった。
これらの清い若者たちは徒手空拳であった。
しかし、彼らの気概と燃え上がる救国救世の信念を見て、誰もが驚いた表情であった。
そして、この若者たちとは一緒に冒険してみるだけの価値があると信じるようになった。
もう一つ、志のある人材が集まってきた理由がある。
彼らはアメリカの将来を心から心配する憂国の志士たちであった。
アメリカの首都ワシントンがワシントン・ポスト紙の言論独裁から解放されない限り、アメリカは滅びると考えた人々である。
レバレンド・ムーンが保守新聞を作るなら、これを必ず成功させなければならないという信念から集まってきた人々である。
どこかに天が準備した人材がいるはずである。
そうやって探し出したのが、「サクラメント・タイムズ」の編集局長であったジェームズ・ウェラン氏であった。
私は直ちにカリフォルニア州の州庁所在地サクラメントに飛んだ。私は三日をかけて彼を説得した。
彼は三度も断り、私は三度も訪ねて行った。
彼は最初は笑い飛ばした。
「いや、冗談じゃありませんよ。宗教指導者が新聞を作るですって?」
彼は全く相手にしなかった。
私は文鮮明先生を三日間にわたって証しした。
彼は三日目に、「文鮮明師こそは世界を生かす仕事をしようとしている人だ」「ひと肌脱ごう」と言った。
これは『三国志』に出てくる劉備の三顧草廬(三顧の礼)を思わせた。
これこそは現代版の三顧草廬である。
彼が承諾してくれると、今度は言論界の専門人材を一人、二人と募集することができた。
これら草創期に入社してきた人々は、本当に天が送った人材であると実感する。
大平原のように何もないところに新聞社を築くというのに、それを信じて、自分の名誉をかけてくれた人々である。
彼らが生命を差し出して入社してくるようになった理由はただ一つである。
文鮮明先生は絶対に他人を利用したり、裏切ったりする人ではない、ということである。
その時はまだ、彼らに見せてあげるものは何もなかった。
ただ一つ資産があったとすれば、それはわが統一教会の若者たちの殊勝な気概と精神であった。
これらの清い若者たちは徒手空拳であった。
しかし、彼らの気概と燃え上がる救国救世の信念を見て、誰もが驚いた表情であった。
そして、この若者たちとは一緒に冒険してみるだけの価値があると信じるようになった。
もう一つ、志のある人材が集まってきた理由がある。
彼らはアメリカの将来を心から心配する憂国の志士たちであった。
アメリカの首都ワシントンがワシントン・ポスト紙の言論独裁から解放されない限り、アメリカは滅びると考えた人々である。
レバレンド・ムーンが保守新聞を作るなら、これを必ず成功させなければならないという信念から集まってきた人々である。